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C57

C57山口号 津和野鉄橋




鷲原八幡宮のしだれ桜


鷲原八幡宮楼門
平安時代の天暦年間(947年-956年)に山根六左衛門尉という郷士が豊前宇佐八幡宮を勧請したのに創まるといい、その後吉見氏の家祖頼行が鎌倉鶴岡八幡宮から再度勧請し、2代頼直が嘉慶元年(1387年)に現位置に社殿を建立して遷座したという。
吉見氏断絶後も津和野の守護神として崇められ、藩政が敷かれた後は坂崎氏、亀井氏の歴代藩家から崇敬され、亀井氏の時代には祇園社(現弥栄神社)、武霊社(現津和野神社)と合わせて津和野藩の3大社とされ、その筆頭に位置づけられた。
本殿は三間社流造、外周に覆屋(おおいや)を構える。楼門は一間一戸の四脚門で、屋根入母屋造 茅葺、正面に前流れの向拝(こうはい)(屋根檜皮葺)を付ける。楼門の両脇には同じ梁間で桁行2間切妻造の翼廊(屋根杮葺)を延ばす。ともに吉見氏11代 の正頼により永禄11年(1568年)に改築されたもので、正徳元年(1711年)に亀井津和野藩3代藩主の茲親による大修理があるなど、幾度か修築を経 たが、楼門の向拝の冠木(かぶき)中央に配した蟇股(かえるまた)や柱頭の手挟(たばさみ)には室町時代の技法が残されている。昭和47年(1972年) 3月31日に島根県の文化財(建造物)に指定された。


鷲原八幡宮楼門から見た参道


楼門前に大島松渓作の狛犬


鷲原八幡宮流鏑馬馬場
全長約270メートルの馬場で、吉見氏時代に鶴岡八幡宮の馬場を模して作られたもの。日本において唯一原形を留めている馬場であるとして、昭和41年(1966年)5月31日に史跡に指定(同47年7月28日名称変更)された。


無形民俗文化財  鷲原八幡宮の流鏑馬神事

殿町
殿町通り 溝の鯉はよく驚くほどのメタボ鯉


夏越の祓い
6月末の夏越の祓いの輪くぐり 弥栄神社(やさかじんじゃ)
六月晦日の行事
6月30日は水無月を食べる日。これは、「夏越祓(なごしのはらえ)」という行事に関係があります。「夏越祓」は「水無月の祓い」とも呼ばれ、1年のちょうど折り返しにあたる6月30日にこの半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する神事です。
「夏越祓」は古くから寺社で行われており、この日、神社の鳥居の下や境内にはチガヤで作られた大きな輪が用意されます。参拝者が「水無月の夏越の祓いをする人は、千歳の命のぶというなり」などと唱えながらくぐると、夏の疫病や災厄から免れるといわれています。
また、神社から配られた紙の人形(ひとがた)に姓名・年齢を書き、それで身体を撫でてから神社に納めると、罪・穢れが祓われるとも伝えられています。
上賀茂神社では、茅の輪くぐりの神事の後、神職が何千体もの紙の人形を手で一体ずつ楢の小川に流して穢れを祓う「人形流し」が行われます。

後田
裏路地 後田

土蔵
町中の土蔵 きぬやスーパー前

城山
雨の城山 津和野小より

ゆうひ
夕日 なごみの里より

大鳥居
大鳥居 

新橋より
 新橋

鷺舞
鷺舞
鷺舞(さぎまい)とは主として八坂信仰の神社にて奉納される伝統舞踊。島根県津和野町及び京都市の八坂神社で奉納されるものが著名である。 津和野町のものは「津和野弥栄神社の鷺舞」として国の重要無形民俗文化財に指定されている



大井谷
バス 大井谷 
大井谷は棚田百選にも選ばれた棚田の名所
ここで取れる米は減農薬な上、昼夜の温度差が大きいのでおいしい


深谷
深谷川 
川面まで80米 自殺の名所となってしまったため深谷橋はフェンスが張り巡らされている

高津川横道付近
清流日本一の高瀬川 横道付近 
このときは鮎が群れて泳いでいるのが見えました




Information

撮影場所 島根県鹿足郡津和野町
撮影:大沢智 無断転載を禁ずる